2018年1月28日日曜日

お能を鑑賞して。

久々にお能の鑑賞に行って来ました。

今回は「お能と和歌」というタイトルで、万葉集に詠まれた佐用姫と狭手彦の悲恋の物語

です。


解りやすく文学者の方が最初講義してくださるのですが、それがさっぱり聞こえないとい

うか、何を言っているのか解らないのです。

私は、ツレと、ここに来る前に不謹慎ながら、お昼ご飯と共にちょっとヒッカケた物です

から、ウトウトしていましたら、突然後ろの席から高齢の女性が「あのー。。聞こえない

のですけど!」っと仰いました。

そりゃそうですよねー、真面目に講義を聞こうとしている人は、困りますもん。

私の前の席の学生さんなんかは、ちゃんと聞きたかったろうに、何も言葉を発しないの

に、その女性は皆を代表して言って下さったのです。

ごく普通の、カバンに飴ちゃんが入っていそうな良い感じの女性。

私には出来ません、(寝ていたらそりゃ出来ないわ)

おかげで目が覚めました。

さすが大阪のオバサン(ごめんなさい^^)

言うときは言いはります。

講義してくださる方は、著名な学者さんで、勲章も貰ってらして、数々の名誉職に付いて

おられる、素晴らしい方なのに、聞こえないと言うより、高齢のせいか、滑舌がすこぶる

悪く、注意してくださったのにもかかわらず、相変わらず解らずじまいで(涙)

その残念な講義の後はお待ち兼ねのお能。

お目当ての副王知登さんも真正面で見れたし、佐用姫の赤松禎友さんも可憐やったし(お

面被ってるのに何でやねん?)

外は思いっきり寒いのに、お話も降りしきる雪の中のお話で、相変わらず、死んだやら、

霊が出てくる、お能らしいお話でしたわ。

お能の鑑賞に行って、勇気ある女性に会えたのです。

いいなー、あんなふうに言える人って。。




2018年1月24日水曜日

今年の初釜

初釜とは?

平べったく言えば、新年に茶道のお稽古を始める日のことで、新しい年を迎える新年会み

たいなものなんです。

招かれる側は、着物着て楽しくて、いいのですが、招待する側はそれはそれは大変で、お

料理や、お部屋の設えなどする事が山ほどで、何日も前から用意しなければいけません。


その初釜に今日行って来ました。

まずは席入りの前に白湯を頂き、ただの白湯なのに、なぜか美味しく感じるのはなぜかし

ら?

その後お茶室に入り、お濃茶から頂きます、三人分のお濃茶を回し飲みするのですが、不

幸にも三人目の私は、たっぷりの残ったお濃茶を飲み干さなければならない羽目になり、

「うっっーー」となりながら飲み干しました(泣)

その後は懐石料理を頂きます、先生手作りの美味しい懐石料理をお酒と共に。。いやい

や、私は車だから、泣く泣く口をつける程度で、堪能しました。


その後お薄手前に移り又又、お薄を頂くのですが、お手前なさる方の勘違いで思いっきり

濃ーい、お薄で又それも飲み干して、今日はブラックコーヒー3杯立て続けに頂いた気分

でしたわ(涙)

最後に阿弥陀くじで、お花の栄養剤が当たり、最後は「チョレィー!!」で〆ました。

(でも、胃が痛い。)












2018年1月5日金曜日

「日の名残り」を読んで色々考えた。

カズオ イシグロさんのノーベル文学賞受賞作です。


ざっくりとしたあらすじは、第二次世界大戦が終わって数年経った頃、著名な貴族のお屋

敷に使える執事さんがいらして、そのお屋敷の使用人が少なくなり以前勤めていた女中頭

に会うため、旅に出てその道中にお屋敷に勤めていた頃の過去を振り返りながら、人生も

振り返るお話。

ほんまにざっくり。

偉大で品格を備えた執事とは、自分はどう振舞ってきたかとか、つらつら思い出して旅を

続けるのです。

旅の終わり近く、目的の女中頭ケントンさんに会い、思い出話に花を咲かせるのでが。

そのケントンさんは執事のスティーブンソンの事を好きだったのに、ご本人は気づかなか

ったのか、気づいてはいたけれど、職務に忠実なああまり気づかない振りをしていたの

か。

二人がお屋敷で働いていた頃の会話がとても面白いのです。

彼女がかまってちゃんで、色々アピルのだけれど、堅物な彼は、「私は好奇心を抱く立場

にはございません!」とか、それでも粘って絡む彼女に、「申し訳ございませんが私にど

うせよというご提案でございましょうか?」とか。

言葉使いがご丁寧で。

決してどっかの市長さんみたいに「殺すぞ!」なんて汚い言葉は使いません。

平べったく言うと、「そんなん知らんがなー」とか「どないせーちゅうねん!」とかの言

い方になるのだけれど、言い方もあるもんやなーと感心します。

最後のほうで彼女が別れ際に、「私の人生はなんて大きな間違いだったのかしら。

もしかしたら実現したかもしれない別の人生を、たとえば ミスタースティーブンソン、貴

方と一緒の人生を。。」と告白されたときの彼は、後半恋愛小説みたいになってます。

話がコロッと変わりますが、藤沢周平の「蝉しぐれ」のときのラスト近くでも、ふくが

「文四郎様のお子が私の子で、私の子が文四郎様のお子である道は無かったか?」という

くだりがありましたが。

これって、男性の作家にありがちな所なんですけど、そないに引きずるかなー。。

昔付き合って分かれた彼に、何十年か後にあって、彼のほうから、一緒になってたらどな

いなってたやろなー」と言われた事がありましたが、即座に「それは、ないと思うよ!」

と即答しましたけど、引きずってほしいのか?男のロマンチズムちゅうやつかしら?

この辺りは親の死に目にも会わずお役目大事に勤める、侍のような主人公や、女性の描き

方もイシグロさんもやっぱり日本人の血が流れたはるからなのか、翻訳者の力なのか?


ラストに桟橋で夕日を観ながら、人生を振り返り涙するのです。

なんの涙なんでしょう、完璧に偉大で品格のある執事をやりきったのやから、ええやん。

今更、そない思わなしゃーないですやん、ご自身誇らしいと思ってはるし。

どっかの、横綱さんの品格と品格の格が違うのやから、立派です。