2014年1月4日土曜日

安藤忠雄とその記憶


「持続力で仕事にに望む建築家の記憶を探る。」って帯に書いてありました。

大阪のコテコテの下町に、双子の兄として生まれ、両親から離れ祖父母の下で育った安藤さんは、日々の仕事に忙しい大人たちから「勉強しろ!」と、言われる事なく自由に育って。
近所の職人さんの手元を見るのが大好きな子供だったみたいです。

そういえば、私も子供の頃、隣の内職のおばちゃんの袋貼りりの仕事を熱心に見ていたり、大工さんのカンナの削り節の匂いが好きだったりしたわ。
安藤さんと私と一緒にしたらあかんけどね。

お爺さんが、すぐに亡くなられたので、お婆さんに育てられたようなもんだけど、中学を出たら、大工の見習いでもしようと思っていたそうですよ。

でも「高校だけは出て欲しい」と言われしかたなく工業高校に進み、お金を稼ぐ手段としてボクサーになったんですって。

あの安藤さんがそんな経歴があったとは、驚き。
そのボクシングに高校卒業とともに限界を感じ、働きながら建築の勉強を始めます。
大学生が4年かかる教科書を1年で読破したんですって。

学歴も社会的な基盤もない中いろんな人との出会いから刺激・指導を受けはって、建築家としての教養を身に付けていかれます。

仕事を通じて築いていかれた濃密な人間関係は、安藤さんの身からほとばしるパワーが磁石のように人を引き付けて離さないのでは、ないのでしょうかね。

私も、チラッとお見受けした事がありますが、きりっとした面構えと目力の強さが印象的でした。
仕事柄、コットンパンツの裾上げもさせていただきました。

そんな身近にも感じる安藤さんは、日本を代表する建築家さんで、外国の大学や、東大の教授にもなったんですもの、凄いですわ。

安藤さんの建築は、実際、淡路の夢舞台や六甲の集合住宅、それから司馬遼太郎の記念館くらいしか知らないけれど、みんな自然と建物が、調和していて、長いスタンスで建築と関わっている作品です。

司馬遼太郎の記念館は、わけあって三回も訪れましたけれど、緩やかなカーブにそって光とともに進んだアポローチの先にある司馬遼の世界。
2万冊にも及ぶ蔵書の壁に囲まれると、気持ちが穏やかに本の世界にどっぷりと浸かる事出来たもんです。

私は、どういうわけか、本屋に行くとお腹が痛くなるのですが、あそこはちっとも痛くならなかったわ。
本が、建材のごとく、みっしりと陳列されていたせいかしら。

こんな事何回も言うと安藤さんが気ぃ悪うしはるかもしれませんけど、学歴もない人が、ここまでたどり着けるには、どんだけ大変な努力があったのでしょうか?

今頃の若者は、「そんなん時代が良かったからやん!」とか、「ラッキーやったんやー!」とか言ってしまっておしまいにしそうだけれど。

決してそんなことはないと思う、今の若者にはないハングリー精神と、人に頼らず独学して、帯にも書いてあったように持続力で仕事に望む姿勢、職人肌とでも言うのでしょうかねー。
人にはまねの出来ない、新しいものを作る思いとエネルギー、それやと思うんです。

かっこいいんです!

素敵な建築物の写真満載の素敵な本でした。

※去年の暮れに仏芸術勲章の最高章コマンドールを受けはったそうですよ。
ますますかっこいい!


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