2020年4月25日土曜日

俊徳街道をウォーキング

外出自粛自粛で、せめて長めのウォーキングに励んでいます。

勿論、マスク、手袋、完全防備で。

私の家から西側は、大きな病院がいくつもあり、すでにクラスター発生

の病院や、重症患者を受け入れている、病院もあり、そちら方面には、

行けません。

ですので、東側は、西側に比べれば人通りも少なく、ひっそりとしてい

て、私には好都合なんです。

歩いているうちに、気がついたのだけれど、結構お地蔵さんや、立派な

神社なんかがあり、興味を惹かれ、調べると、いつも歩いている道が俊

徳街道だという事がわかりました。

あの歌舞伎や、お能、文楽、演劇などに演じられる事が多い、俊徳丸が

歩いた道。

昔、藤原竜也がまだ10代の頃俊徳丸を現代風に蜷川さんがアレンジし

た、お芝居「身毒丸」も見たことがありました。

四天王寺さんから高安までの道が俊徳街道みたいなんですけど、途中か

ら、それも逆方向に進みます。

まずは、家のそばの国分町から出発。

もうすでに俊徳街道です。
国分町公園にある石碑です。
JRのガードの下をくぐり、ひたすら一方通行の道を進みます。

寺田町と桃谷の中間より寺田町よりのガード

細い一通の道が続きます

猫間川通りと交差します
人いないでしょ!


疎開道路と交差しします
細い道が続くのです。

こんな道を、目の見えない俊徳丸は杖を頼りに歩いたのです。
途中にはこんな公園が、俊徳道せせらぎの広場と書いてあります。

そばには舎利尊勝寺があります。

1400年前に聖徳太子の創建と書いてありました。

そこを左に折れて御勝山古墳に出ます
5世紀後半の前方後円墳です。

その前方後円の後ろ部分を公園にしたのが、御勝山公園で、昔気象台が

あった所。


大きな公園で、木陰で麻雀している、おじさんたちが。

アカンでしょ!

古墳の少し奥まった道端に俊徳地蔵さんがありました。


お顔はまだ幼さの残った優しいお顔で、大事に祀られています。

は俊徳丸はここで休憩したのかも。

継母にいじめられ視力までなくし、物乞いしながら、河内高安から四天

王寺さんまで、祈願するために、杖をつきながらこの長い道中を歩いた

と思うと、可哀そうで、泣きたくなります。

最後にはハッピーエンドになるのですけど。

家から行って帰って、8000歩、いい感じの散歩コースです。





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