2018年1月5日金曜日

「日の名残り」を読んで色々考えた。

カズオ イシグロさんのノーベル文学賞受賞作です。


ざっくりとしたあらすじは、第二次世界大戦が終わって数年経った頃、著名な貴族のお屋

敷に使える執事さんがいらして、そのお屋敷の使用人が少なくなり以前勤めていた女中頭

に会うため、旅に出てその道中にお屋敷に勤めていた頃の過去を振り返りながら、人生も

振り返るお話。

ほんまにざっくり。

偉大で品格を備えた執事とは、自分はどう振舞ってきたかとか、つらつら思い出して旅を

続けるのです。

旅の終わり近く、目的の女中頭ケントンさんに会い、思い出話に花を咲かせるのでが。

そのケントンさんは執事のスティーブンソンの事を好きだったのに、ご本人は気づかなか

ったのか、気づいてはいたけれど、職務に忠実なああまり気づかない振りをしていたの

か。

二人がお屋敷で働いていた頃の会話がとても面白いのです。

彼女がかまってちゃんで、色々アピルのだけれど、堅物な彼は、「私は好奇心を抱く立場

にはございません!」とか、それでも粘って絡む彼女に、「申し訳ございませんが私にど

うせよというご提案でございましょうか?」とか。

言葉使いがご丁寧で。

決してどっかの市長さんみたいに「殺すぞ!」なんて汚い言葉は使いません。

平べったく言うと、「そんなん知らんがなー」とか「どないせーちゅうねん!」とかの言

い方になるのだけれど、言い方もあるもんやなーと感心します。

最後のほうで彼女が別れ際に、「私の人生はなんて大きな間違いだったのかしら。

もしかしたら実現したかもしれない別の人生を、たとえば ミスタースティーブンソン、貴

方と一緒の人生を。。」と告白されたときの彼は、後半恋愛小説みたいになってます。

話がコロッと変わりますが、藤沢周平の「蝉しぐれ」のときのラスト近くでも、ふくが

「文四郎様のお子が私の子で、私の子が文四郎様のお子である道は無かったか?」という

くだりがありましたが。

これって、男性の作家にありがちな所なんですけど、そないに引きずるかなー。。

昔付き合って分かれた彼に、何十年か後にあって、彼のほうから、一緒になってたらどな

いなってたやろなー」と言われた事がありましたが、即座に「それは、ないと思うよ!」

と即答しましたけど、引きずってほしいのか?男のロマンチズムちゅうやつかしら?

この辺りは親の死に目にも会わずお役目大事に勤める、侍のような主人公や、女性の描き

方もイシグロさんもやっぱり日本人の血が流れたはるからなのか、翻訳者の力なのか?


ラストに桟橋で夕日を観ながら、人生を振り返り涙するのです。

なんの涙なんでしょう、完璧に偉大で品格のある執事をやりきったのやから、ええやん。

今更、そない思わなしゃーないですやん、ご自身誇らしいと思ってはるし。

どっかの、横綱さんの品格と品格の格が違うのやから、立派です。









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