2014年4月18日金曜日

ウイスキーの父竹鶴政孝



知り合いに洋酒メーカーに勤めている人がいてね。

ふと話の間に、「今度玉鉄さんが、NHKの蓮ドラに出はるんやって、竹鶴政孝さんの役で、主人公なん

よー、楽しみやわー。。」と玉山鉄二さんファンの私が、言ったら。

「竹鶴さんの本あるで、読むか?」って言うのです。

市販されていない本だそうで、なおの事読みたくなり、遠慮なく頂きました。

お題は「ヒゲのウヰスキー誕生す」です。

広島の造り酒屋の跡取りになりかけていた、竹鶴政孝さんが、洋酒製造に興味を持って少しの間だ

け、勉強するつもりで、足を踏み入れた洋酒業にどっぷり浸かり、やがて日本最初のウィスキーを造る

にいたる半世紀の記録です。

大正7年にたった一人で、イギリスに渡り,ひたすらスコッチ造りの技術を学びそこでイギリス女性にめ

ぐり合い、帰国してから二人で、色んな困難を乗り越えてニッカウヰスキーを興すのです。

1962年に,イギリスのヒューム副首相が,来日した折に「一人の日本の青年が万年筆とノートでウィス

キー製造の秘密を全部盗んでいった、とまで言わしめたそうですよー。

誰に頼ることなく、たった一人異国で、酒造工場に飛び込み、言葉もままならないのに、工場の設備、

気候、原材料、職工さんの賃金まで、くまなくノートに書き写し、皆の嫌がる蒸留釜の掃除まで率先し

てやり、釜の構造を学ぶんです。

”物づくりを学ぶってこうでなければって”言うお手本です。

昨日か今日の新聞で、どっかの大きな会社が、団塊の世代がリタイヤするので、技術のノウハウをデ

ーター化して、若い人達に引き継いでもらおうとかしているって書いていたけど、そこまでせなあかん

のでしょうか?

私も、いっぱしの技術の世界に生きてきたけれど、教えてもらいたかったら、教えてもらわなければな

らない人が、努力して、技術を盗み取るぐらいでないと、身につかないのでは。

「ほら、ここにデータがあるでしょ、これ見なさい。」なんてだめでしょ!

私古いでしょうか、古いのでしょうねっ!!

この本読んでいたら、ウヰスキーが飲みたくなって、チビチビ飲んでいたら、やたらミスタッチして、な

かなか仕上がりません。

この辺で止めときます。




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