今日8月15日は、64回目の終戦記念日です。
去年のブログで、父と一緒に戦火を潜った、お守りを発見したことを書きましたが、だんだん戦争を知る人々や、そのことを語られることも、少なくなり、この日くらい、悲惨な戦争の事をみんなで、話してもよいかも。
それが、私たち年長者の役割の一つだと思うんです、って言っても、戦争知らない世代なんですけど。
去年のブログで、父と一緒に戦火を潜った、お守りを発見したことを書きましたが、だんだん戦争を知る人々や、そのことを語られることも、少なくなり、この日くらい、悲惨な戦争の事をみんなで、話してもよいかも。
それが、私たち年長者の役割の一つだと思うんです、って言っても、戦争知らない世代なんですけど。
先日、美味しいうどんを食べたくて四国に渡りました。(なんや、堅い話のあとに、うどんの話かい・・・っていわないで下さい)
川のようになった道路を走る大雨の中、ふとドイツ館の看板、「なんでしょ?」と思い訪れました。
川のようになった道路を走る大雨の中、ふとドイツ館の看板、「なんでしょ?」と思い訪れました。
それは、第一次世界大戦中、中国の青島で日本の軍隊とドイツが戦い、敗れたドイツ兵士が、俘虜としてとらえられ、日本各地に送られたのですが、最終的に、坂東にまとめて、収容されたそうです。
それが、この板東のドイツ館のあるところで、甲子園くらいの広さがあります。
そこには、その俘虜達の暮らしぶりが、とても分かりやすく展示してありました。
それが、この板東のドイツ館のあるところで、甲子園くらいの広さがあります。
そこには、その俘虜達の暮らしぶりが、とても分かりやすく展示してありました。
捕虜収容所って聞くとなんか、悲惨なアウシュビッツみたいな、イメージがあったんですが、見てみてびっくり。
1000人位の俘虜の人々の、生活ぶり、オーケストラを結成したり、演劇もあり、スポーツは、テニス、ボーリング、器械体操、etc・・。新聞は発行するわ、切手も作る、通貨もありで、多彩です。
それから、地域の人々との交流も盛んで、文化や、牧畜、野菜栽培、建築もちろん音楽、スポーツなど指導したそうです。
日本で始めて、第9交響曲が、演奏されたのも、ここだったんです。
そしても、驚くのは、3年足らずの間にそれが行われたって事です。
1000人位の俘虜の人々の、生活ぶり、オーケストラを結成したり、演劇もあり、スポーツは、テニス、ボーリング、器械体操、etc・・。新聞は発行するわ、切手も作る、通貨もありで、多彩です。
それから、地域の人々との交流も盛んで、文化や、牧畜、野菜栽培、建築もちろん音楽、スポーツなど指導したそうです。
日本で始めて、第9交響曲が、演奏されたのも、ここだったんです。
そしても、驚くのは、3年足らずの間にそれが行われたって事です。
なによりそのような、夢のような収容所を可能にしたのは、所長である心優しい、松江大佐の力、そして、俘虜達を、「ドイツさん」って言ってフレンドリィーに受け入れた、地元の人々。
元々徳島は、地方から訪れるお遍路さんを、心優しくもてなす県民性も、あるのかも。
リーダーの力ってすごいなーと、思い知らされました。
近々総選挙の行われるわが国、松江大佐のような、スパーリーダー、現れないかなー。
元々徳島は、地方から訪れるお遍路さんを、心優しくもてなす県民性も、あるのかも。
リーダーの力ってすごいなーと、思い知らされました。
近々総選挙の行われるわが国、松江大佐のような、スパーリーダー、現れないかなー。