2024年5月14日火曜日

お江戸への旅日記②

 お待ちかね第二弾、誰も待っていないかっ!

その後、お昼ご飯に、以前から行ってみたかった駒形にある泥鰌鍋のお店へ。


お店の玄関で半被を着た方が、木の下足札をくださって、そこからお座敷に、二階はテーブル席

もありそうなんだけど、せっかくなのでお座敷を選びました。

一昔前にタイムスリップしたみたいに、竹むしろに藍染のお座布団、高さ15センチ位の一枚

板のテーブル、何から何まで、昔のまんま「よろしいなー」

そこで柳川鍋とクジラの唐揚げを頂きました。

現代ではなかなか口にできないものばかり、お漬物までみんな美味しくて満足満足。

お腹の膨れたところで、今度はスカイツリーへ。

予想はしていたけれど、すんごい人で、チケット買うのにも中に入るのにも、長蛇の列。

行き交う言語は、色々、私のほうが異邦人みたいでしたわ。
スカイツリーはフリー画像からいただきました


少し曇っていたけど、ちょっとの間 富士山も見ることが出来ました。

海外のご家族がお着物来て楽しんだはりました。

で、次は泉岳寺さん

四十七士が祀られていますよ。






4時半までだったので、走って走って、5分前に到着。

もうこれ以上無理!

娘からのスタバの母の日クポーン使って、高輪のスタバでお茶して、東京駅へ行き

新幹線の予約切符2時間前倒ししてもらって、帰りましたとさ。

あーしんど!

2024年5月13日月曜日

お江戸への旅日記

 


久しぶりに東京へ行ってきました。

理由は、話すと長くなるのだけど、娘が3月にサイパンへ行ったんですよ、そこでご機嫌なバ

カンス楽しんだんだけど、そのときに観光で「バンザイクリフ」へ行ったんですって。

太平洋戦争末期に敵兵に追い詰められた日本人非戦闘員が日本に一番近いここから

「天皇陛下万歳!」って叫びながら80m下の岩盤の海に飛び込で自決した場所。

その数10000人といわれ、海が血で赤く染まり、先に飛び込んだ人がいるのに また飛び込んだ

ので海の中に沈まなかったと言われるほどの悲惨な模様だったそうです。

って話をガイドさんに聞いた話を、それをまた私に聞かせてくれました。


そこで娘は海軍だった私の父、つまりは彼女の祖父が南方での戦いに参加していた事を思い出

し、色々と調べたんですって、昔の戦友たちとの写真なんかを調べて、戦後父たちが生き残った

戦友たちの交流の写真なんかで、トノレイ会というのを知りその会報が、東京九段の昭和館の

図書館にあって、その中に父の投稿した文章が、あるというのを突き止めてきたわけです。

ブーゲンヴィル島にあるトノレイ湾からその名前をつけたみたいで、あまり詳しくわからない

のです、父はあまり戦争のことを話さなかったので。

でも父の記録からだとニューギニアでは兵士の75%の方々が戦死なさったそうです。

父がそんな会のために会場の世話したり、頭ゴシゴシ書きながらなんか文章書いていたのは覚

えたいたのだけれど、ちょうどその頃は20歳位で自分のことばかり考えていて、そんな事をし

ていることに気にもとめなかったのだけれど、今になって、そんな父の文章が読みたくなり、

それでその昭和館に行くことになったわけです。

図書館でその会報を借り、泣きながら読みコピーさせてもらいました。

戦歴や、その後の会の活動のこと何かを書いてあったのですが、なかなかうまい文章。

というか、他の人達のも読ませてもらったけれど、皆さん文章おかきになるのが上手で、語彙

が豊富、さすが昔の人って感じ。


そしてその後はやはり靖国神社。

一度は訪れてみたかった。

大きいですわー、きれいにお掃除も行き届いて。

警備の人たちも多くて、早朝だったので観光の人はそんなにいないのだけれど、何か知らない

けど独特の雰囲気のある神社でした。

そこで入口近くに特攻隊員さんのご両親に送った手紙・遺書が掲げてあったのですが、それを

読んで又又涙、それにしても二十歳前後の青年のその文章もとっても立派で、

「あーあーもったいない、こんな良い若者が」ってつくづく戦争の愚かさを再認識しました。



その後は、しっかりお上りさん気分で、あちこち観光しまくって、次回のブログにて、

ご期待ください。