勿論、マスク、手袋、完全防備で。
私の家から西側は、大きな病院がいくつもあり、すでにクラスター発生
の病院や、重症患者を受け入れている、病院もあり、そちら方面には、
行けません。
ですので、東側は、西側に比べれば人通りも少なく、ひっそりとしてい
て、私には好都合なんです。
歩いているうちに、気がついたのだけれど、結構お地蔵さんや、立派な
神社なんかがあり、興味を惹かれ、調べると、いつも歩いている道が俊
徳街道だという事がわかりました。
あの歌舞伎や、お能、文楽、演劇などに演じられる事が多い、俊徳丸が
歩いた道。
昔、藤原竜也がまだ10代の頃俊徳丸を現代風に蜷川さんがアレンジし
た、お芝居「身毒丸」も見たことがありました。
四天王寺さんから高安までの道が俊徳街道みたいなんですけど、途中か
ら、それも逆方向に進みます。
まずは、家のそばの国分町から出発。
もうすでに俊徳街道です。
国分町公園にある石碑です。 |
寺田町と桃谷の中間より寺田町よりのガード |
細い一通の道が続きます |
猫間川通りと交差します 人いないでしょ! |
疎開道路と交差しします |
こんな道を、目の見えない俊徳丸は杖を頼りに歩いたのです。
途中にはこんな公園が、俊徳道せせらぎの広場と書いてあります。
そばには舎利尊勝寺があります。
1400年前に聖徳太子の創建と書いてありました。
そこを左に折れて御勝山古墳に出ます
5世紀後半の前方後円墳です。
その前方後円の後ろ部分を公園にしたのが、御勝山公園で、昔気象台が
あった所。
アカンでしょ!
古墳の少し奥まった道端に俊徳地蔵さんがありました。
お顔はまだ幼さの残った優しいお顔で、大事に祀られています。
は俊徳丸はここで休憩したのかも。
継母にいじめられ視力までなくし、物乞いしながら、河内高安から四天
王寺さんまで、祈願するために、杖をつきながらこの長い道中を歩いた
と思うと、可哀そうで、泣きたくなります。
最後にはハッピーエンドになるのですけど。
家から行って帰って、8000歩、いい感じの散歩コースです。