叔母が大切に守った家 |
先日、母の弟の奥さんが89歳で亡くなりました。
通夜葬儀と一連のお弔いを済ませて、つくづく昭和の長男の嫁の大変さ
を再認識しました。
叔母には、小さい頃からお世話になりっぱなし。
母は、私が小学校に行く頃になると、姉と二人祖母の家に夏休みの間中
預けるのです。
母は楽ですけど、嫁である、叔母には迷惑な話やったと今から考えると
思う。
叔母は、私達に生まれたての卵で美味しいカステラを作ってくれたり、
大根を薄く桂むきにして砧巻きなど、珍しい料理を作ってくれたり、料
理好きで若くて優しい人でした。
ある日なんか、叔母の子供つまり従兄弟と喧嘩して、私が悪かったのに
も関わらず、叔母は自分の子供が悪いと言って、息子に説教していて、
心苦しかった思い出があります。
私にはまね出来ません。
葬儀の日、夫である叔父が、「あいつはなー、18で嫁に来て百姓ばか
りさせられて、途中嫌になって実家に帰ったこともあるんやー。苦労し
っぱなしやったわー」って他人事のように言うから、「叔父さんかて、
教師やったんやから、夏休みとか日曜とかに手伝えばええのにー」とか
言ったら、「他に仕事もあったしなー」やって、もー。
そんなこんなで、高齢になって、やっと農業から開放されたら体がくの
字に曲がって、腰痛や、足が痛いやら、動けなくなったら、施設に入っ
てそのままで終わってしまって。
こんなこと言ったら、叔母に悪いけど、あの時代の嫁はやはり労働力や
ったのかなー。
長男の嫁として男の子二人生んで立派に育て、孫もひ孫にも恵まれ、そ
れはそれで良かったのだろうけどなー、なんだかなー。
よー頑張りはったわー。
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