お話を聞いてますと、利休さんて、茶人でもあり、商人でもあり、武芸に優れた七人衆を
弟子に持つほど、ある意味戦国時代のリーダーだったわけで。
安土城築城までは、茶会は、戦→茶会→戦→茶会の繰り返しで、戦いの作戦やその反省の
場でもあったそうです。
そんな利休の話も興味深かったのですけれど、中でも一番食いついて^^しまったのが、
全く利休さんと関係ない赤穂浪士のお話。
赤穂浪士が討ち入りして、吉良の首を泉岳寺に持ち帰るときに、本物だと重いし、
血が滴り落ちるしそれに、奪還されると大変なので、花入れの桂川を、風呂敷に包み槍の
先に差して泉岳寺まで例の行進をしたんだそうです。
![]() |
桂川花籠 |
知らんかったわー、トリビヤでしょ!
今まで何回となく、テレビや映画で、槍の先っぽに吉良の首入れて風呂敷に血の色が滲ん
でいたけど、嘘やったんです。
その桂川の花入れ籠は、香雪美術館にあって、その花入れの底に槍の幅の切り後を修理
した形跡があるんですって。

それから今日の茶花は、これなんですけど。
花器は籠
お花は、夏椿・升麻・半夏生です。
そして、もう一つのトリビヤです。
普通、花器の下には、薄板といって、
敷物を敷くのですが、籠のときは無しなんです
何でかなー?と常々思っていたのですけど、
利休の七人弟子の中の
古田織部が籠の花入れに薄板使わないのを
利休が気に入り、そっから籠の花入れには、薄板を使わなくて良くなったんですって。
聞いて見なくてはーわからない事って一杯あります、事実は小説より奇なり、
嘘のようで本当の話、ほんまに目から鱗でしたわ。
講師の先生には申し訳ないけど、心に残った内容が「そこかいっ!」と言われそうやわ。
0 件のコメント:
コメントを投稿
「Mのページ」を、最後までお読みいただきありがとうございました。