2017年6月11日日曜日

利休と戦国武将ー茶の湯と「こころ」-

表千家同門会主催の、市民講座に行って来ました。

お話を聞いてますと、利休さんて、茶人でもあり、商人でもあり、武芸に優れた七人衆を

弟子に持つほど、ある意味戦国時代のリーダーだったわけで。

安土城築城までは、茶会は、戦→茶会→戦→茶会の繰り返しで、戦いの作戦やその反省の

場でもあったそうです。

そんな利休の話も興味深かったのですけれど、中でも一番食いついて^^しまったのが、

全く利休さんと関係ない赤穂浪士のお話。

赤穂浪士が討ち入りして、吉良の首を泉岳寺に持ち帰るときに、本物だと重いし、

血が滴り落ちるしそれに、奪還されると大変なので、花入れの桂川を、風呂敷に包み槍の

先に差して泉岳寺まで例の行進をしたんだそうです。
桂川花籠

本物の首は違うルートで運んだそうでよー。

知らんかったわー、トリビヤでしょ!

今まで何回となく、テレビや映画で、槍の先っぽに吉良の首入れて風呂敷に血の色が滲ん

でいたけど、嘘やったんです。

その桂川の花入れ籠は、香雪美術館にあって、その花入れの底に槍の幅の切り後を修理

した形跡があるんですって。


それから今日の茶花は、これなんですけど。

花器は籠

お花は、夏椿・升麻・半夏生です。

そして、もう一つのトリビヤです。

普通、花器の下には、薄板といって、

敷物を敷くのですが、籠のときは無しなんです

何でかなー?と常々思っていたのですけど、

利休の七人弟子の中の

古田織部が籠の花入れに薄板使わないのを

利休が気に入り、そっから籠の花入れには、薄板を使わなくて良くなったんですって。

聞いて見なくてはーわからない事って一杯あります、事実は小説より奇なり、

嘘のようで本当の話、ほんまに目から鱗でしたわ。

講師の先生には申し訳ないけど、心に残った内容が「そこかいっ!」と言われそうやわ。




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