2011年6月30日木曜日

入力機能付きサイクルマシンというミシン


新しく、購入した、ミシン。
「入力機能付きサイクルマシン」という味も素っ気もないネーミング、そのまんまですやん!
そのミシンで、初めてのお仕事、カエデの形をミシンに教え込みます。
タッチパネルの画面を、データー入力に切り替え、縫い形状決めて、X実寸値表示・Y実寸値表示を確認し、高速速度・ピッチを決めてただひたすらに、かえでの葉っぱの形に、針落ち点を決めていく。反弧モードや、直線モードに切り替えながら、ポイント・ポイントを抑えていきます。
葉っぱ一枚の、ミシン目決めるのに、1時間以上かけ、その後データーをパソコンンに移し変えて、微調整・・・・。

カエデ

あーあーしんどい、右手が、攣ってきます。
空送りから、始まり、スムーズな運針の後、返し針、、糸切りまで、マシンに、覚えこませる作業。
でもそんなしんどい作業をマスターしきっていない中、迷いながら、取り説読みながら、福本ミシンさんに聞きながら。
でもやらなあかんのです。
そうです、仕事やから、ミシンに入力してしまえば、ミシンは、ひたすら、100枚でも、200枚でも、ひとりでに、縫ってくれます、人間のように、手が痛いとか、目が、ぼけるとか、小言言わずに、休みなしで、縫い続けるのです。
こんな機械作る人間てすごいです。素晴らしい!
でもね、私的にはね、母が、縁側で、踏んでいた、黒ヘッドの足踏みミシンが、やっぱり好きなんですよねー。
皮ひベルトが切れたら、自分で修繕したり、部品交換したり、
コンピュータの入っていない、自分でどうにかなった、昔のミシンが懐かしいですよ^^
日時: 2011年06月30日 18:41

2011年6月17日金曜日

久々に大泣きした本【永遠の0】

先日、本を、整理していた時に、借りっ放しで読んでいなかった本を見つけ、
「読んでから返さなあかんわー」と読み始めた本、題名は、【永遠の0】。
帯には、先程お亡なりになった児玉清さんが、「僕は、号泣するのを懸命に歯を食いしばって、こらえたが、だめだった」と絶賛!!
内容は、ゼロ戦のパイロットのお話なんだけど、読み始めは、空母やら、戦闘機、特攻、軍艦、途中で、無理かもと、折れそうになりながら、でも、これは、「最後まで読まなあかんねん!」と自分自身を鼓舞しながら、最後まで、読みました。
何度も、泣きながら、地下鉄の中でも、泣くものだから、変な目で見られながら、読み続けました。
真珠湾攻撃から始まり、終戦直前の、狂ったように無茶苦茶な戦い振り。
もはや「蟷螂の斧」と作者は表現していますが、意味が、わからなくて、携帯辞書引きました、蟷螂は、カマキリだそうです、そうなんです、力のないものが、力量も省みず、強敵に立ち向かう様。
上層部の人たちは、何もせず、若者を、まるで、消耗品のように使い、最後は、自爆させる。
国のため、家族のため、過酷な訓練、任務にも耐え、戦い続け、生き延びて帰ってきたら、理不尽な、迫害。
そのような、戦争の狂気の中で、「私は、妻や子の為に、生きて帰る、死にたくない!」と、言いながらも、最後に特攻で、26歳の若さで、死ななければならなかった、主人公の、無念さを、思うと・・・・。
満州事変のときもそうだったけれど、上の人々は、危険が迫ったりしたら真っ先に逃げたり、責任逃れしたり。
ひょっとしたら、今まさに起きている、日本の危機にも、もう逃げる算段している、お偉い方々が、いらっしゃるかも。
戦争を語る人々が、いなくなる時代に、良くぞ書いてくだっさたと感謝します。
実は、父も海軍で、レイテやガダルカナルの話を、聞いたような、ないような、真剣に父の話を聞いておけばよかったのにと、悔やまれます。
でも父も半分は、聞かせたくなかったかも。。言っても、本当の悲惨さは、話さないだろうと、この本を読んで思いました。
mixiの友達で、お父様が、18か19歳で戦争に行かれ、終戦に日本に帰れると思ったら、シベリアに連れて行かれて、苦労なさった話を、読みました。
「いつになったら帰れるか?」と、聞くと、春になって、【しらかば】の花が咲くころに帰れると言われ続け。
3年極寒のシベリアで、次々仲間が死んでいく中、生き延びて、無事お帰りになり、
会社を興しになって、その名前を【しらかば】という名にしたそうです。
そのお父様が、先日、ご病気で、手術をなさるときに、手術室に入る前、「戦争に行ったから、平気、平気!」なんて仰ったそうです。
このように戦後の日本は、戦争から、必死で帰ってきた人々が、どんなにしんどくても、「戦争に比べりゃ、なんてことはない!」と、必死で、復興して下さったんだと思います。
この前若いスタッフに、ふと父の話をしたときに、「私の父は、戦争体験者なのよ」といったら、しみじみと「大変な思いをしてこられたんだー」といってくれて、ジーンときてしまいました。
彼女もこの本を読んでいたから、このような返事をしてくれたんです。
実は、借りっぱなしになっていたこの本こそ、彼女の本でしたが、本の力って、すごいです。
「ありがとう!!いい本貸してくれて!」今、姉が泣きながら読んでいます。

日時: 2011年06月17日 21:25

2011年6月8日水曜日

お陰さまでネットショップ一周年です


6月12日で、我が社のネットショップは1周年を迎えます。
どこかの国の首相も1周年ですが、我が社のネットショップは、末永く皆様のお役に立てるように続いていきますよ~♪
最初は、なれなくて大変でしたが、今は、カートやサービスも充実しつつあります。
地球に優しくて、今の時代にぴったりのエコロジックリメイクを、ネットを通じて世界の人々に、提供していきたいと思います。
インターネットのユザーの約8割がネットショップで買い物を、しておいでになります。
誰もがインターネットでショッピングを楽しむ時代となりました。
そんな時代に遅れては、ならじと、始めた、ネットショップ☆
商品販売のネットショップと違い、リフォーム・リメイクのショップは、きめ細かな、コンサルティングが、必要なので、顔が見えない分、メールで、やりとりする難しさを実感しております。
でも、商品を、お届けした後に、お褒めのお言葉を、頂いた時には、それはもう、天にも昇る様に嬉しいです!!
これからも、スタッフ達と力をあわせて、皆様に喜んで頂けるよう、もっともっと、頑張りまーす!
ネットショップはこちらhttp://www.saihoukan.jp/
saihoukanをフォローしましょう
お問い合せはメールにて24時間受け付けしております。お直しヘルプからどうぞ。
日時: 2011年06月08日 13:13

2011年5月30日月曜日

リフォーム・リメイクこそメイドインジャパン


我が社にも、中国の方々が、海を渡って、お仕事に来て頂いています。
そして、帰国するときに、それぞれ、お子様には、ウルトラマンのフィギュア、ご主人には、ひげそりやデジカメ、etc・・。  そして、衣料品、こだわりは、メイドインジャパン!です。
メイドインチャイナ!では、はだめだめ!!
そりゃそうですよね。
でもその衣料品を探すのが、今や大変な事なのです、貴重なお土産になります。
でも良く考えてみると、今現在のアパレル業界の現状はと言えば、一部を除き、糸、生地、染め、縫製、海外製造が多いのではないでしょうか?
企画は、日本でも、製造は全て中国というのも、珍しくなんかありません。
やはり海外の労働力の安さ、勤勉さに日本は、負けてしまうのでしょうかねー。
輸入品税の問題なんかも、複雑に絡み合っているのかも。
でもリメイク・リフォームは、メイドインジャパン です。
お客様と、じっくりお話しをお聞きして、真剣にお洋服と向き合って、どうすれば、美しく仕上がるか、考えて、作り出していく。
せっかくそのままでも着ることが出来るのに、自分だけのオリジナリティーの為に、遠方から、ネットを通じて、リメイクを、頼んで下さるお客様。
おしゃれに対するその方独特のこだわり、すでにその方は、その時点で、立派なデザイナーさんです。
私たちは、そのお手伝いをさせて頂くって訳なんです。

こだわりリメイク

それとか、思い出の品を、大事にしまっておいて、それを、そんなに安くない金額を使ってまで、リメイク・リフォームするなんて、考えは、日本人ならではですよね。
たまに北欧の国なんかで、古布を集めてパッチワークしたりして、タペストリーにしたり、ベッドカバーにしたりするけれど。
洋服に作り替えて、そして今現在着ても、おかしくない洋服にリメイクして、思い出と一緒に、着る。
日本人が誇る独特のセンチメンタリズム。

そんないろんな、ご要望に、安心して、任せて頂けるように、腕によりをかけなくては、
アパレルに残された、唯一のメイドインジャパンのために。
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お問い合せはメールにて24時間受け付けしております。お直しヘルプからどうぞ。
日時: 2011年05月30日 14:24

2011年5月8日日曜日

いろいろあった日曜日


久々に交響楽団のコンサート!
オープニングは、東北大震災の被害者の方々の為に、G線上のアリアでスタート、なんでG線上のアリアかというと、バイオリンのGの線を使うからですって、そのまんまですやん。。
演奏後の拍手は,なしです。
その後の曲は、あまり知られていない、私だけかもしれないけれど、100年前くらいの作品が多く、思わず、《うっとり》でなく《うとうと》ごめんなさい^^最近寝不足で。
そして、最後のアンコールは、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでお馴染みのラデツキー行進曲で、ノリノリで締めて。
心遣いが感じられる、演出で、楽しいコンサートでした。
その後は、母の日なので、母を連れ出して、寿司屋さんで、お食事。
ほろ酔い加減になった母は、カウンター越しに見える、イケメンの板さんに「ええ~男前さんやなー」やて・・・。
まだまだ達者な母に、あきれるやら、妙に感心するやら^^トホホ
日時: 2011年05月08日 23:54

2011年4月25日月曜日

岸和田だんじり祭り



数ある、シチジョウの店舗の中でも、岸和田カンカンの中にあるお店は、ちょっとほかの店と雰囲気が違います。
入ってすぐのディスプレィーは、いきなり、ハッピ着たお人形が、お出迎え。
そろそろ、岸和田の人たちは、準備なさいます。
と言うより、1年中、準備なさっている、まじめな、お祭り野郎もいらっしゃいますが^^
岸和田ベィサイドモールには5月5日から,でっかくウインドゥディスプレィ致します、楽しみにしてね!

岸和田だんじり

あまりだんじり祭りご存じない方に、ちょっとだけ説明しますと、かくゆう私も、まだまだわからないところだらけなのですが、
岸和田のだんじり祭りは、日本一豪華で、迫力があり、スリリングで、パワフルで格好いいお祭りです。
だんじりは、岸和田の町内の人なら、成人男性だけでなく、子供も女性も引けます。1台のだんじりを数百人で引きますので、その姿は壮大です。
ここでは、見物人も優雅に見物できません。時には、だんじりと一緒に走ったり、迫ってくるだんじりをよけたり、逃げたりしなければいけません。
たまにお怪我をなさる方もいらっしゃいますよ。
ツウの見物人は、はしごを持参して、高いところから見物します。
だんじりの、走る道にあるお家は、保険を掛けておられます
次のNHKの朝の連ドラは、コシノ三姉妹を産み育てた、小篠綾子さんが、ヒロインなんですけど、
彼女も生前二階の窓から毎年見物していたそうですよ。
祭りは、9月です。大阪にお越しの折には、是非見物に入らして下さいね。
ハッピのお修理は、ぼちぼちご注文が来ています。
そんなお客様のために、お得なクーポンご準備しました。
クーポン利用して、誰よりも格好いい祭りの、ヒーロー・ヒロインに、なって下さい。
クーポンは、こちら
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お問い合せはメールにて24時間受け付けしております。お直しヘルプからどうぞ。
日時: 2011年04月25日 17:41

2011年4月19日火曜日

津波の石碑大正橋にありました。



我が社株式会社シチジョウの本社工場は、大正区にあります。
そこに行くには、JR大正駅でバスに乗り千島でおります
その大正駅そばに大正橋があって、そこには石碑が建ててあって「大地震両川口津波記」と書かれています。
安政元年江戸後期らしいですけど、11月5日に安政南海地震があって、甚大な被害をもたらしたそうです。
石碑には、大きな船が、川をせき止めたとか、大船小船が、重なり合って、陸に上がったこと、多くの人々が、おぼれて亡くなったとか、先月の東北地方を襲った大地震と同じような光景が書き記されています。
当時はこの災難の事柄を寅の大変(とらのたいへん)と呼んだそうなんです。
何で寅なのか、判らないけれど、そして地震があると、このような大きな津波が来るから気をつけるようにとも書かれています。
先人は、後の時代の人のために、このように、書いて同じような災難に見舞われないように注意してくれているのです。
でも、原子力発電所の放射漏れの事までは、想像も出来なかったでしょうに、だからこそ、今回の、大震災は、二度と、このような事がおきない様に、後世に伝えていかなければ、ならないと思います。
特に原子力発電所の件に関しては。
でもこのような大地震のサイクルは、100年単位だから、忘れてしまうのですよね。そんなにしょっちゅうあっても困るのですけれど。
だから、危ないと言われていてもそんなところに家を建てて住んでしまうんですよね・・・。
三陸沖の人々もそうだったと思うのです、大船渡の地名も大きな船が、津波で川をさかのぼって来たから、その名がついたと、今回の、災害で知りました。
災害にあったところには、住まない方がいいのは、判っていても、そこに住まなくてはいけない事情もあるだろうし。
漁業や海産加工をお仕事している人たちは、そこが都合が良いですもの。
難しいです、石碑を見て考え込んでしまいました。

石碑
日時: 2011年04月19日 18:52