2011年4月19日火曜日

津波の石碑大正橋にありました。



我が社株式会社シチジョウの本社工場は、大正区にあります。
そこに行くには、JR大正駅でバスに乗り千島でおります
その大正駅そばに大正橋があって、そこには石碑が建ててあって「大地震両川口津波記」と書かれています。
安政元年江戸後期らしいですけど、11月5日に安政南海地震があって、甚大な被害をもたらしたそうです。
石碑には、大きな船が、川をせき止めたとか、大船小船が、重なり合って、陸に上がったこと、多くの人々が、おぼれて亡くなったとか、先月の東北地方を襲った大地震と同じような光景が書き記されています。
当時はこの災難の事柄を寅の大変(とらのたいへん)と呼んだそうなんです。
何で寅なのか、判らないけれど、そして地震があると、このような大きな津波が来るから気をつけるようにとも書かれています。
先人は、後の時代の人のために、このように、書いて同じような災難に見舞われないように注意してくれているのです。
でも、原子力発電所の放射漏れの事までは、想像も出来なかったでしょうに、だからこそ、今回の、大震災は、二度と、このような事がおきない様に、後世に伝えていかなければ、ならないと思います。
特に原子力発電所の件に関しては。
でもこのような大地震のサイクルは、100年単位だから、忘れてしまうのですよね。そんなにしょっちゅうあっても困るのですけれど。
だから、危ないと言われていてもそんなところに家を建てて住んでしまうんですよね・・・。
三陸沖の人々もそうだったと思うのです、大船渡の地名も大きな船が、津波で川をさかのぼって来たから、その名がついたと、今回の、災害で知りました。
災害にあったところには、住まない方がいいのは、判っていても、そこに住まなくてはいけない事情もあるだろうし。
漁業や海産加工をお仕事している人たちは、そこが都合が良いですもの。
難しいです、石碑を見て考え込んでしまいました。

石碑
日時: 2011年04月19日 18:52

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