昔大変お世話になった、叔母が入院したと聞き、先日お見舞いに行って来ました。
感染症の病気で、高熱が続き、手足に腫れもあるそうで、80を超えた高齢だし、老人特有の症状
も出始めていると聞いていたので、兎にも角にも、よれよれの母と、姉とですっ飛んで行きました。
病室に入ると、「マサチャン来てくれたんやー」と喜んでくれて、普通に会話をしていたのだけれど。
でも突然急に大きな声で「こんなわけのわからん病気になったんは、私が悪いからやー、私の業が
強いから罰があたったんやー。。」と叫ぶように泣き出すのです。
何でそんなに自分を責めるのか、わからない。
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叔母と仲良し飛鳥ちゃん |
私が小さいころいつでも夏休みになると、母の里に行き、長い間叔母にお世話になったもんです。
母はその間楽するわけで。。
祖母がいるとはいえ、田畑の仕事、家事やほかの事で忙しいのに、我侭な私と姉の面倒まで見な
くてはいけない叔母は、どんなにかしんどかっただろうに。
叔母の子供である、従兄弟と私たちが喧嘩しても、私たちでなく無条件に息子たちをしかりつけた
り。
食事やおやつも、いいものをくれたり。
その時はなんとも思わなかったけれど、今から思うと、叔母は気の重いことばっかりだったろうに。
昔の長男の嫁と言うものは、ここまでしなくてはいけなかったのだろうか、もしも私が同じ立場だっ
たら、真っ平ごめんだわ。
どれだけやっても、小姑たちに影で文句言われ、その小姑が母なんですけど。。
子供心にも、なーんか違和感を感じていました。
今でも叔母の作ってくれた、あんころ草もちやカステラの美味しかった話を母にすると。
「けどなー。。。」と素直に同調しない母、どこまで根性悪なんやろ。
その数日後、いつも遊んだ従兄弟が、新米と採れ採れのお野菜をもって来てくれました。
その野菜は、叔母が入院ぎりぎりまで手入れしていた畑でこさえた野菜。
新鮮で美味しいお野菜を頂きながら、叔母の人生を考えてしまいました。
叔母は叔母で、姑小姑を、難なくこなし(
どっかで聞いたことのあるフレーズですけど)夫を支え、子供や孫
に囲まれ、実り豊かな人生やったんだわ、オットットー 今でもですけど。
昔の女性って改めて偉いなー、今の人、いや私なんか、ましてや私の娘なんかには、どだい無理
な話です。
その後の経過は、合う薬が見つかり腫れも熱も引いたそうで、でもお正月も病院だそうです。
早く退院できるよう祈るばかりです。
でもねー。。
退院したらしたで、従兄弟の嫁さんが又介護で大変なんやけどね。
そうやって長男の嫁の苦労は繰り返されるのだー。
わかるかな男性たち!
そうやー、ブログ書いたついでに叔母に今までのお礼と励ましの手紙を書こうっと。