2011年7月31日日曜日

レオナール藤田


 近所の百貨店で、藤田嗣治の作品展が、あると聞き、ご近所の、百貨店だし、行こうと思いました。
好きな作家さんなんで、以前も、ブログにも、書かせていただいたこともありましたっけ。
以前のブログは、こちら
勤務時間の関係もあり、百貨店に電話をかけて、開催期間を、尋ねようと、電話をかけました。
「藤田嗣治さんの作品展、いつまででしょうか?」
そしたら、電話に出た女性が、「藤田嗣治さんの、作品展は、今現在開催しておりません、レオナール藤田なら、開催中です、27日までです。」?????
最近このようなこと多いです、こんなことで、目くじら立てては、いけません。
結局最終日の、午前中、出勤前に、行くことにしました。
一番乗りで、会場に入ると、案内の女性が、「最終日に、一番に、来ていただき有難うございました。」なんてフレンドリーなご挨拶で迎えていただき、付きっ切りで、解説、してもらいました。
藤田の作品は、他の画家の、お値段が、下がっているのにも係わらず、価値が、上がっているそうです。
理由は、色々あって、なるほどと、納得できて、あまりいえないのだけれど。
盛んに、価値があると、お勧めして下さるのですけれど、何せ、¥2,500,000~¥30,000,000の金額、その話は、スルーして、一点一点の作品の、背景や、モデルの、興味深いお話、こちらの、ど素人の素朴な質問にも、ちゃんと、答えて下さって、感激!!
藤田の特徴の、乳白色の女性の絵や、にゃんこの絵をじっくり、ゆっくり眺めることが出来ました。
案内して下さった、女性は、藤田は、勉強のつもりで、パリに来たのではなく、画家として、一本立ちして、絵筆で身を立てた、藤田のなみなみならぬ、頑張りを、熱っぽく話してくださいました。
それを、支えた、何人もの女性たちがいたことも。
日本を愛し、日本を憎んで、レオナール(レオナルドダビンチからもらったそうです)という、言う名前を洗礼名にした、藤田。
何人もの女性とお暮らしになったのに、お子様が、一人もおられないのが、とても残念です、素晴らしいDNAを、残して欲しかったです。
日時: 2011年07月31日 21:58

2011年7月19日火曜日

彩縫館も、W.C優勝おめでとうございますコメント!


今朝の新聞のトップは、サッカーW.C女子優勝の文字です!!
W.Cおわかりですよね!ワールドカップです、他のこと考えたらあきません。
みんな素晴らしかったけれど、何と言っても澤選手が、特にすばらしい、大好きになってしまいました。
早速ネットで、澤選手の人となりをチェックチェック。。
ありました、澤語録、文学部に席を置かれただけであって、気の利いたコメント。
☆ 苦しい時は、私の背中を、見なさい
  (頼もしいです、こんなリーダーがいてくれたら)
☆ 代表の10番という番号は、重い、その重みが、私を走らせる
  (走るのんしんどかったやろなー。。私走るの嫌いやから)
☆ 国民の皆が誇りに思えるよう、果敢に走りたい
  (澤さんが、歩いていても、尻餅付いても、誇りに思います)
☆ サッカーの神様なんかいない、頼れるのは、私だけ
  (今朝の新聞には、「神様が、いた!!」って叫んだはりますやん^^)
☆ 次のW.Cが終わったらもちろん現役、代表の目指す選手の壁になる
  (「きみー、後進に、席を譲れよー!」なーんて誰も肩たたかないですよ。。)
サッカー女子
☆ 苦しい時の澤頼み!!
  (これは、私が作りました)
試合前に監督は、選手全員に、今回の地震の悲惨な映像をお見せになったらしいです。
選手一人一人の心の中に、災害に遭われた人の事を思いプレーし、そして、優勝することで、どんなにか、励ましになったことでしょう。
いいなー、スポーツって、運動音痴の私なんか、そんなスポーツの力が、うらやましくて仕方ない。
今まで、少ない運営費の中、爪に火をともすように、生活費を、切り詰め、食費切り詰め、交通費も切り詰めて来た、選手の皆さんに、組織強化、財政強化等よろしくお願いしたいもんだわ。
日時: 2011年07月19日 11:11

2011年7月14日木曜日

母校の屋根にソーラーパネル


母が、白内障の手術で、入院したのですが、そんなに深刻な状態では、ないので、行ったついでに、隣の母校の建替え現場を、見物していました。
母の病室の窓から、母校を見ることが出来るのです。
いつも下から見ていたので、気が付かなかったのですが、上から見下ろすと、なんと屋根の上に、ソーラーパネルが。
さすが、最近の建物は、ソーラーパネルは、お決まりなのでしょうか。
母校
ちょうど、昨日、秋田で、孫さんが、事務局長を務めた、
「自然エネルギー協議会第1回総会報告会」が行われた映像Ustreamを、知人に教えていただいて、見た直後だったので。
余計にガン見してしまいました。
その日の朝刊には、官総理の「脱原発」表明の記事が、トップで、掲げられていましたが。。
孫さんの秋田宣言は、紙面のどこを見てもありませんでしたけど。
35道府県の自治体の長を結集して、具体的に、数字を挙げて、政治に疎いこの私にまで、わかるように、話す方と。
「方針きめたよー」だけで、「どないすんのん?」と突っ込みたくなる、方と。
どっちがどうとはっきり言えないけれど、ま、言ってるようなもんですけど^^
けれど、毎日の、この暑さの中での、エネルギー問題、のんきな私も考えさせられます。
Ustreamの画像はこちら
日時: 2011年07月14日 20:2

2011年7月7日木曜日

ラッキョウのリメイク

ラッキョう漬け

毎年、福井の息子から、三里浜の土付きラッキョウを送ってもらっているのですが、今年は、念願の三年ものが、来ました。
二年間土の中に寝かせてから掘り出す、小さくて、孫っちの歯みたいな、可愛いラッキョウです。
考えてみれば、贅沢な話で、寝かせている間、売れないのだから。。。
早速、ラッキョウの端をカットして、洗って、土と皮をむき、洗いラッキョウにして、甘酢につけます。
文字で書けば、チョー簡単なんだけれど、まー大変、小さい分、手間がかかるかかるし、悲しくないのに、涙は、出るし、鼻も出る。
話は、変わりますが、何で三里浜のラッキョウが、ラッキョウって言うかと申しますと、福井の方言では、端っこの事を【はな】といいます、それでラッキョウの端【はな】っこをカットして、加工するので、ラッキョウ、つまり洒落ですなー。ラッキョウ畑

最近は、御多分にもれず、ほとんど、中国・台湾のラッキョが、出回っていて、国産は、貴重な、存在です。
でも土付きラッキョウから、カットして、洗って、甘酢に漬けるまでの、工程の人件費を考えると、日本では、なかなか大変です。
土つきのラッキョウが、商品になると6倍以上のお値段になります。
それだけ手間がかかるんですもの、コストパフォーマンスは、良いですよ!
カレーの薬味に欠かせないし、一日3粒食べると身体にいいので、夏には、お勧め!

そんな味気ない話は、よしにして、二週間もすれば、自分で言うのもなんですが、おいしい味のラッキョウを食べることが出来ます。
楽しみ楽しみ^^

日時: 2011年07月07日 21:24

2011年7月3日日曜日

ある朝の出来事


いつものように慌しく仕事に出かける朝。
家を出て、最初の角を曲がると、どこからか、リコーダーの音♪
リコーダって、学校で習った縦笛、『アホが、吹いてもリコーダ』なーんて、言いましたよね♪
言いませんでした?
何処やろ、と耳をダンボにしながら、あそこのピアノの先生とこは、も少しお上手やろし・・・・。
そうなんです、高音になると、音が、外れるんです。
よーく耳を澄ますと、幼馴染の、うどん屋のよし子ちゃんとこの家から聞こえます。
よし子ちゃんは、お嫁に行って、遠くに住んでいるから、あそこの家は、お姉さんが一人住まい。
小学校の先生をしておられたらしいと聞いていましたが・・・・。
多分私より5歳くらいお姉さんだから、すごいお年。
曲の名前は、井上陽水の、《少年時代》
♪なーつが、すーぎかぜあざみ♪♪の最初のところで、ずれるんですが、何回も同じところ吹いてます。
先日そのお姉さんが、車庫入れしているときに、遭遇したときは、カーオーディオから、イルカの、《なごり雪》が流れていたっけ。
猛暑の中、なんでやねん、と突っ込みたくなりましたが、今度も少しビミョー。。
私もこの年になってから、笛は、良いかもと思っていたところです。
腹筋鍛えるし、口の周りの筋肉も鍛えて、法令線予防にもなるし、もう遅いかもしれないですけど。
ホラばっかり吹いてんと、笛吹かなあきません^^
そして、音楽は、楽しいし一石二鳥です。
六十の手習いって昔から言うけれど、ほんまにそうです。
えらいなー!よし子ちゃんのお姉さん。
お友達になりたくなりました。
日時: 2011年07月03日 22:55

2011年6月30日木曜日

入力機能付きサイクルマシンというミシン


新しく、購入した、ミシン。
「入力機能付きサイクルマシン」という味も素っ気もないネーミング、そのまんまですやん!
そのミシンで、初めてのお仕事、カエデの形をミシンに教え込みます。
タッチパネルの画面を、データー入力に切り替え、縫い形状決めて、X実寸値表示・Y実寸値表示を確認し、高速速度・ピッチを決めてただひたすらに、かえでの葉っぱの形に、針落ち点を決めていく。反弧モードや、直線モードに切り替えながら、ポイント・ポイントを抑えていきます。
葉っぱ一枚の、ミシン目決めるのに、1時間以上かけ、その後データーをパソコンンに移し変えて、微調整・・・・。

カエデ

あーあーしんどい、右手が、攣ってきます。
空送りから、始まり、スムーズな運針の後、返し針、、糸切りまで、マシンに、覚えこませる作業。
でもそんなしんどい作業をマスターしきっていない中、迷いながら、取り説読みながら、福本ミシンさんに聞きながら。
でもやらなあかんのです。
そうです、仕事やから、ミシンに入力してしまえば、ミシンは、ひたすら、100枚でも、200枚でも、ひとりでに、縫ってくれます、人間のように、手が痛いとか、目が、ぼけるとか、小言言わずに、休みなしで、縫い続けるのです。
こんな機械作る人間てすごいです。素晴らしい!
でもね、私的にはね、母が、縁側で、踏んでいた、黒ヘッドの足踏みミシンが、やっぱり好きなんですよねー。
皮ひベルトが切れたら、自分で修繕したり、部品交換したり、
コンピュータの入っていない、自分でどうにかなった、昔のミシンが懐かしいですよ^^
日時: 2011年06月30日 18:41

2011年6月17日金曜日

久々に大泣きした本【永遠の0】

先日、本を、整理していた時に、借りっ放しで読んでいなかった本を見つけ、
「読んでから返さなあかんわー」と読み始めた本、題名は、【永遠の0】。
帯には、先程お亡なりになった児玉清さんが、「僕は、号泣するのを懸命に歯を食いしばって、こらえたが、だめだった」と絶賛!!
内容は、ゼロ戦のパイロットのお話なんだけど、読み始めは、空母やら、戦闘機、特攻、軍艦、途中で、無理かもと、折れそうになりながら、でも、これは、「最後まで読まなあかんねん!」と自分自身を鼓舞しながら、最後まで、読みました。
何度も、泣きながら、地下鉄の中でも、泣くものだから、変な目で見られながら、読み続けました。
真珠湾攻撃から始まり、終戦直前の、狂ったように無茶苦茶な戦い振り。
もはや「蟷螂の斧」と作者は表現していますが、意味が、わからなくて、携帯辞書引きました、蟷螂は、カマキリだそうです、そうなんです、力のないものが、力量も省みず、強敵に立ち向かう様。
上層部の人たちは、何もせず、若者を、まるで、消耗品のように使い、最後は、自爆させる。
国のため、家族のため、過酷な訓練、任務にも耐え、戦い続け、生き延びて帰ってきたら、理不尽な、迫害。
そのような、戦争の狂気の中で、「私は、妻や子の為に、生きて帰る、死にたくない!」と、言いながらも、最後に特攻で、26歳の若さで、死ななければならなかった、主人公の、無念さを、思うと・・・・。
満州事変のときもそうだったけれど、上の人々は、危険が迫ったりしたら真っ先に逃げたり、責任逃れしたり。
ひょっとしたら、今まさに起きている、日本の危機にも、もう逃げる算段している、お偉い方々が、いらっしゃるかも。
戦争を語る人々が、いなくなる時代に、良くぞ書いてくだっさたと感謝します。
実は、父も海軍で、レイテやガダルカナルの話を、聞いたような、ないような、真剣に父の話を聞いておけばよかったのにと、悔やまれます。
でも父も半分は、聞かせたくなかったかも。。言っても、本当の悲惨さは、話さないだろうと、この本を読んで思いました。
mixiの友達で、お父様が、18か19歳で戦争に行かれ、終戦に日本に帰れると思ったら、シベリアに連れて行かれて、苦労なさった話を、読みました。
「いつになったら帰れるか?」と、聞くと、春になって、【しらかば】の花が咲くころに帰れると言われ続け。
3年極寒のシベリアで、次々仲間が死んでいく中、生き延びて、無事お帰りになり、
会社を興しになって、その名前を【しらかば】という名にしたそうです。
そのお父様が、先日、ご病気で、手術をなさるときに、手術室に入る前、「戦争に行ったから、平気、平気!」なんて仰ったそうです。
このように戦後の日本は、戦争から、必死で帰ってきた人々が、どんなにしんどくても、「戦争に比べりゃ、なんてことはない!」と、必死で、復興して下さったんだと思います。
この前若いスタッフに、ふと父の話をしたときに、「私の父は、戦争体験者なのよ」といったら、しみじみと「大変な思いをしてこられたんだー」といってくれて、ジーンときてしまいました。
彼女もこの本を読んでいたから、このような返事をしてくれたんです。
実は、借りっぱなしになっていたこの本こそ、彼女の本でしたが、本の力って、すごいです。
「ありがとう!!いい本貸してくれて!」今、姉が泣きながら読んでいます。

日時: 2011年06月17日 21:25