2013年4月1日月曜日

能楽「蝉丸」


先日満開の桜が咲く難波宮横の大槻能楽堂へ、観能に出かけました。
仕舞や狂言や能楽などを、鑑賞。
その演目の中の一つ、能楽「蝉丸」
名神高速道路の京都と滋賀の境目にある、蝉丸トンネルの蝉丸です。
百人一首にある「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の歌で知られていますよね!
坊主めくりで、後ろ向きの坊主の絵が描いてある札、蝉丸が出てきたら、持ち札ぜーんぶ、はき出さなければいけない縁起の悪い、トランプで言えば、ジョーカーのような、そんな蝉丸。
でも蝉丸には、とても、悲しい出来事があるのですよ~!
元元後醍醐天皇の4番目の息子さんなんだけど、生まれつき盲目で、廷臣は、天皇の命で、蝉丸を逢坂山に連れて行きます、捨てるためです。
蓑、笠、杖、だけを置いて、それから琵琶も。
蝉丸は父を恨んだりしないで、前世の罪業を償わせようとの父君の慈悲なのだと廷臣を諭すのです。
偉いんです。
前世なんか、知らないですよね!ましてや子供にね!いや、知ってるから、納得しているのだろうけど。
でもやはり子供、泣きながら嘆きながら、琵琶を弾いていると、これまた気の毒な、お姉さんに偶然再会するのです。
そのお姉さんというのは、生まれつき髪の毛が逆さまに生えるという、障害があって、いじめられ狂人になって、あちこちさまよっていたのだそうです。
そしてそこで涙ながらに身の上話を語り合い、別れていくというお話。
悲しいでしょ!テキストがあるからわかるってもんですけれど、無かったら、さっぱりわかりません。
でも昔は、身分が高くても、いえ身分が高いからそうなるのかしら、なんやかんやと、理由をつけて、我が子を捨ててしまうのですね。
ちょっと前の日本でも、飢饉があったりしたら、子供を間引いたりしたものですが。
障害が、あったり、子供の様に弱い物は、捨てられる世の中だったのです。
今は、そんなことは無いのかもしれないけれど、代わりに、幼児虐待や、陰湿ないじめが、はびこっています。
いつになったら、弱い子供や、障害のある子供たちが、安心して、暮らせる世の中になるのでしょうかね。
蝉丸の舞台を見て、つくづく考えてしまいました。
今度名神高速道路で、蝉丸トンネルをくぐるとき、逢坂の関の意味を考えながら、通ってみたいと思います。

悲しげな笛の音と、鼓の音を聞きながら、時々うつらうつら、時々感激、お能って素敵です!

日時: 2013年04月01日 14:26

0 件のコメント:

コメントを投稿

「Mのページ」を、最後までお読みいただきありがとうございました。