2016年12月26日月曜日

凍りの掌(こおりのて)シベリア抑留記



コミックでした。

でしたって!「娘がこれ読んでみぃ。」と私の部屋に一月ほど前に置いていったのを、年末の掃除

していたとき見つけて、綺麗になった??部屋で一気読みしました。

作者のお父様が実際に体験なさったシベリヤでの生活が描かれています。

高齢の父親からの66年も前の話をまとめるのに3年かかったらしいけれど、お父様も触れられたく

ない所もおありだったでしょうに。

私の父も、海軍で南方のあたりで戦っていたそうですが、そのときの話は、教えてはもらえません

でした。

けど戦友とは後年仲良く会ったりしていたみたいです。

父は南方で、そして終戦にすぐ日本に帰って来れましたけど。

作者のお父様は、戦争が終わっても帰れない。

労働力として知らない間に騙されたようにシベリアに送られ、夏服のまま、マイナス40度の

地で過酷な労働を強いられるのです。

「我々は、白樺の肥やしになりに来たのか」と嘆き、絶望するのです。

次々に死んでいく戦友、ろくに葬ることも出来ず。

それ以上に悲しいのは、自分を有利にするための吊るし上げ、その際たるものが、あの「暁に眠

る」です。

そして、共産主義教育、そのおかげで、帰国後の就職も困難を極めたらしいです。

友人のお父様も、シベリヤで、悲惨な生活を体験されたと聞きました。

「ダモイ、ダモイ!」いつ日本に帰れるのかの問いに、シラカバの花が咲く頃と言われ、その花を何

回も見送りやっとの思いで、帰国して、会社を作られ社名を「しらかば」と名付られました。

こういってはなんですけど「しらかば」の花って、あんまり美しくないのですよね(笑)

どちらのお父様も、強い体と精神力があったから、少しでも弱気になったら死んでしまいます。

それほど過酷なんです。

漫画やんと侮っていたけれど、深かった。

今なんやかんやいっても、平和です、土の中から掘り出した芋を料理もせずに食べることもないし。

毎日暖かいお風呂に入れるし。

平和ボケって言われても仕方ないけれど、戦後死に物狂いで帰って来てくださった、人たちが、必

死で、今のこの平和な日本を創って下さったのだから、せめて、こんな事があったという事ぐらい、

語り継いで行かなくてはと、この年末に思いましたわ。






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