2016年1月12日火曜日

昭和から平成への介護の変遷

えらいお堅いタイトルつけてますが。

私が、体験した(したくもなかったけど。。)いや今も継続してしている介護色々の事です。

介護というより下の世話です。

これは避けて通れない問題で、テレビのコマーシャルでは、楽しく綺麗に表現しているけれど、そん

なもんではありません。

まず最初の介護の体験は、私がやってたのではなく、母方の祖母ですが。

私がまだ18位の頃でしたか、祖母の見舞いに奈良の家に行ったときに、母屋から離れた部屋に

祖母は寝かされており、部屋の外には肥えタンゴが置かれていました。

その頃の田舎は、排泄物も大切な肥料でトイレの排泄物を集めて畑にまいていました。

そのときに運ぶ桶が肥えタンゴといわれるものです。




家の外にあるトイレまで歩いて行けないので、今で言うポータブルトイレ。

そこに祖母は、後ろ向きにペロンと寝巻きをまくって立ったままというか、腰を曲げてというか用を

足すのです。


その後は、嫁ぎ先の夫の祖母。

同居したその日に明治生まれの義祖母は、私に物置にある長持ちの前に連れて行き、「もし、うら

が、てきのうなったら、この中にある着物(主にネルや木綿の寝巻き)をつぶして、しめしにしてくん

ねーの。」




翻訳すると、もし自分が病気になったら、この着物でオムツを作るようにとの事です。

義母に言わず私に。(何でやねん!!)

一人娘で婿取りの病弱な娘には頼めなかったのでしょうか。。

その人も、生まれて初めて行った病院で、大腸がんと診断され、5ヶ月ほどで、亡くなる間際、約束

どおりネルの寝巻きをつぶしてオムツを作り、ゴム製のオムツカバーとそのオムツで下の世話をし

ました。

オムツを洗うのはタライだったわー。

その次は、義母の下の世話、もうその頃は紙おむつが普及して、そしてほとんど病院のお世話に

なっていたので、見舞いに行ったときぐらいにおむつ交換した程度で、済みました。

その次は、自分の母、寝るときのオムツと、起きている時のオムツ、そしてオムツの補助のパットな

どオムツだけでも4種類を使い分けて、便利な世の中になりましたわ。

今は、赤ちゃんのオムツより老人のオムツのほうが、生産が多いんですってよ!

安部さんは介護離職をなくすって言ってくださるけれど、介護のために私のように離職するのか

介護士さんが、低賃金と激務に耐えられなく離職するなのかどっちか知らないけれど。

いずれにしても介護する側の心の問題がねー。

友人と会っても猛烈に愚痴ってしまうし、先が見えなくて焦燥感にさいなまれ、先が見えない。

姉と二人での介護とデイサービスのおかげで、私はまだまだ恵まれている方だとと思います。

ニュースなどで、一人で抱え込んで悩んで事件に発展するケースも多々見られ、少子化問題も大

変だけど、介護の問題ももっと大変ですよね。

暗くてヘビーなブログになってしまったわ、あーあー。。


































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